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新春ワイド時代劇「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」

240 :名乗る程の者ではござらん:2007/01/02(火) 18:04:14 ID:jSJTu2sN
4時間たって飽きたのメモ
・浄瑠璃に始まり、討入まで一度見せた導入部はよい。浄瑠璃が仮名手本忠臣蔵ではなく
 浅野−吉良の忠臣蔵になっているのは面白い。浄瑠璃はああだけど、吹石と2人で
 本当はこうだったのよねと語る部分よし
・浅野が神経質の気が多く、時に発狂して吉良を切った。しかもただの発狂ではなく
 吉良がそれとなく賄賂をよこせ、いつ恥をかかされるのかという不安からという
 発想はいいが、ドラマとして見せ場がなく緊張感が保てない。上記のようなアイデア
 を実際に見せてくれる芝居と演出の力がない。
・対して綱吉−柳沢吉保は、芝居がかっていて大変面白い。綱吉は幼児語を使い、
 母に頭があがらない。勅旨の前で恥をかかされ彼らが帰る前に浅野を切腹させて
 面目(実際には言い訳)を保ちたいというのは納得できる。柳沢は勿論へつらうが
 十分常識的であり悪人ではないのも納得でき、彼らが吉良に浅野家臣の恨みをかぶせる
 成り行きも自然だ。
・このドラマに限らないが、女性(瑤泉院)を主人公にすると、常に夫をたて、愛情豊かに
 振る舞つという常識が退屈さを生む。加えて、屋敷から動かず、見せ場がない。
 畳替えや賄賂供応などで瑤泉院の見せ場が出来るかとも思ったが脚本家には女性を
 主人公にそこまでドラマを作る力はなかったようだ。台詞・細かい仕草・細かい心遣い
 などで見せ場を作ることはできなかった。
 女性の視点のドラマに女性脚本家が必要なのは、こうした点に原因があろう。
・全体にシーンが長く退屈、ある感情(例えばお家取り潰しの早急さ、喪失感)を
 見せる具体的な仕草・台詞がなく、ただ人物の表情を映しているだけになりがちだ。
・オーソドックスな忠臣蔵との関係をうまく使えていない気がする。導入部はオーソドックス
 から離れたが、何を語るのかという新奇性が魅力。吉良とのやりとり以降はオーソドックス
 に戻るかと思ったがそのままには戻らなかった。
 しかしオーソドックスで描かれる場面以外にはいい場面はなかったように思う。
 結局、オーソドックスの場面を語りなおす所に魅力があるようだが、それは十分ではない。

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